漫才の時代の変遷
こんにちは、KOHIMOTOの藤本ゆかです。
こひなたみきです。
私たちは普段は2人で、
KOHIMOTOっていうウェブ制作の会社を営んでいて、
よく本を貸し借りし合って感想を話すので、
それを電波に載せてみようっていう音声配信番組になります。
今回も前回の続きの、
令和ロマン高平熊さんの漫才過剰考察の感想の続きです。
はい。
この本の中でさ、
漫才の時代みたいなのを車が分析してて、
それを2015年から2018年と2019から2023って分けて大きく。
芸人同士で技術を高め合う時代を前半で、
その技術に見慣れた観客との戦いの時代を2019から2023って言ってたと思うんだけど、
この後半の2019から2023、めっちゃ加担してるの私だわって思って。
私、今までお笑いなんか、
友達とM-1とかたまに見ることあっても、
そんなに劇場見に行ったりとかまではなかったし、
すごいお笑い芸人さんのことを追っかけるっていうことまでしてなかったんだけど、
コロナになって本当にこの2019の後半にグッと入り込んで、
それでM-1の予選とかも見れるようになったから見たり、
YouTubeとかTVerで好きになった芸人さんのいろんなロケとかトークとか、
惚れるものを掘ってみたいな感じ。
一時期コロナになったとき、千鳥を見てないと落ち着かないみたいな。
千鳥を好きになりすぎて、すべての番組を見て、
それでコロナ禍の精神を安定させていたっていう時期があるぐらい、
そういうのと重なってグッとのめり込んでたから、
昔みたいにただ友達と見てちょっと笑ったりしてるだけっていうより、
あの人はトークが上手いねとか、
あとあの人たちは漫才のこういうところがいいよねみたいなのとかを、
素人なのにめっちゃ分析とかするようになっちゃって、
だからこのクルマが言う観客がシビアになったっていうのとか、
多分私みたいな人が劇場に行ったからなんだろうなって思って、
そういう人がそのクルマが書いてるお笑い学会と貸した客席って言ってて。
コロナとお笑いの影響
だってさ、M-1のさ、決勝とか見に行く人とかもうめっちゃファンじゃないと多分いけないよね。
どうやって撮るんだろうっていう。
そんな簡単に撮れないってこと?
多分めっちゃお笑いのファンじゃないといけないんじゃない?わからないけど。
でもなんか追っかけとかではないんだよね、なんかうちらって多分。
そう、そこは、そう。
なんか多分仕事の合間とかで、コロナ前はさ、
オフィスとしてさ、2人で対面でやってたじゃん。
それがさ、コロナになってステイホームでなんかリモートになって、
多分それで人と会わないからラジオを聴いたりとかしだしたのが結構きっかけなのかな。
それもあるかも、なんかラジオその、前職場に通うときもラジオとか聴くと変わったんだけど、
それの時間がもうすごい、通勤時間だけじゃなくなったりして。
で、うちら2人でやってたときはなんか音楽流したりしてたもんね。
そうだね、音楽とか、あと共通のクリーピーナッツのラジオとか。
クリーピーナッツのオルナイトは大好きだった。
でも単純になんかラジオとかをやる芸人が増えたっていうのもあるよね。
確かに、そうかも。
そのM1車目線ですごい語ってるんだけど、この本。
なんかお笑いのその、多分優勝する人ってそのお笑いブームみたいなのの頂点みたいな感じになるのかなって思うと、
そのなんか移ろいの速さが、なんかもうファッションの流行かよってぐらいすごい早くて、
なんかそれにくらいついていくのも、
なんかネタを飽きられちゃうからお客さんに。
ネタを変化させたり、結果残せるようにフレッシュさがあるように見せたりするのもめっちゃ大変だなって思った。
いや本当にそうだよね。
だって、その時のみんなが笑うお笑いみたいなのはさ、絶対あるもんね。
あると思う。
多分なんか、なんかだから漫才師はなんか自分のなんか理由、我流みたいのを見つけるのかなって思った。
なんか生き残るためにじゃないけど。
なんか、例えば今回も決勝に行ったエバースとか真空ジェシカみたいに、
なんかやってることはずっと変わらなくて、変わらないからこそ10年経って評価が上がってくるみたいなのが強いじゃないけど、
前半で話した最悪化じゃないけど、そういうなんか自分の信念みたいな、自分の理由みたいのを貫いて、
なんか信じてやり続けた人はなんかかっこいいなって思ったし、
なんかそういう人が結果なんか評価も上がって、なんかそのブームを追うっていうよりは、
なんか決勝とかに行くような感じになるのかなって思った。
そうだね、確かに。
なんかそう思うとそんな中で、たぶんかっこいい漫才師たちがM-1とかの決勝とか行ってないし、
テレビとか出てない器用な人もウジャウジャいたりするんだろうなって思うんだけど、
なんか令和ロマンはなんだろう、ちょっとそれともなんか早くからすごい結果出したりしてたから、
なんか客席を読むセンスっていうか、そのお笑いブーム的なのを、
なんか移ろい早いんだけど、それをつかむのがめっちゃなんかピカイチだったのかなって思った。
確かに。
お笑い芸人ってすごいね、なんか表現でもあるって思うと、その漫才作るのとか、
その人たちの表現であるなら、そんなに自分たちの形を崩しなんだろう、
ショーレースに合わせたりとかしないっていうのも表現だけど、
でもなんかその時の世間の、なんていうんだろう、自流を入れるっていうのも漫才だし、
さらにそれをなんかショーレースとかで勝てるようにとかするってなると、
なんかもういろんな本当に技を、経験と技とそういう客席を読むとかもやんなきゃいけないし。
確かに。
そうだね、あとこの人がこれ言うから面白いみたいなのもなんかありそうだよね、知名度じゃない?
確かに。
すごいね、なんかいろんな要因が複合的すぎて、
なんか多分そのM1とかも食べていけるようになるために、
なんかあれだと思うんだけど、みんなそれが目的だと思うんだけど、
お笑い芸人で食べていけるようになる要因がもう複合的すぎて、なんかすごすぎる。
難しい。
すごい。
だから全然決勝行ってない人もみんな面白いよね。
面白い人めっちゃ多分いっぱいいる。
しかもなんかテレビの画面越しとかyoutubeの画面越しで見るより、
やっぱ何話で見るとめっちゃ面白かったりするから、
それもなんか寄せって書いてあったよね、車の方に。
寄せの笑わせ力みたいなのもめっちゃすごいよね。
ね。また今年もいろいろ見に行けたらいいね。
ね。時間あったらいきたい。
ね。
なんか話またM1の話に戻るんだけど、
技術の年からお笑いブームが下振りの第7世代とかから来て、
だんだんお客さんの分析とかしだしてシビアになったお客さんとの戦いみたいな時に、
コロナになって舞台数が減って復活しても観客だし、
だからネタを叩くっていうことがお客さんの反応でできなかったりとか、
あとはお客さんが来れるようになってもマスクしてて、
笑い声っていうよりは笑い顔が見れなかったり、笑い声がマスク越しだと半減したりして、
新勢力の突き上げがなかなか難しくて、
ファイナリスト経験があって貯金があってマンパワーがあって客受け申し分なしのマジラブがパワーで優勝したみたいな。
マジラブの優勝もコロナじゃなかったらまた結果が変わってた未来とかがあり得たのかとか思ったりとかして、
コロナになってお笑いにハマる人とかも多くなった中で、
お笑いの考察者が増えてマジラブの漫才か漫才じゃないか論争みたいなのは可熱の象徴と言えるだろうって書いてあって、
なんかすごいいろいろ繋がってるなって。
どうだったんだろうねコロナじゃなかったら。
確かに私もそのあのマジラブの時は多分そこ今ほどお笑いをめっちゃ見てない人。
だけどマジラブは面白かったよね。
ね、つり子はめっちゃ伝説だと思う。
だからどうなんだろう。
どうなんだろうね。
そういう世界の情勢とかも絡んでくるんだって思って。
そうだね。そもそもだって劇場がなかったらそういう若手の人のことを知るきっかけとかもつかめない。
それになんかそのお客さんが入らなかったら多分その自分たちのネタが面白いのか面白くないのかっていうのもなんかつかみづらいと思うし、
じゃあその精度を上げていこうっていうのがなかなか難しそうだよね。
新しいお笑いの形
そういう意味ではYouTubeとかが芸人の人がやるようになったのとかは良かったよね。
なんで?
そのままYouTubeとかもなくて劇場とかもなかったら
なんか本当に私、私みたいな人がただ何も知らないままだし、
家とかで掘ろうって思っても、なんかラジオとかなかったら、そのコロナが終わった後の先に劇場に行ってみようとかもなんなかったような気がする。
確かに。なんかそうかもね。
なんかYouTubeと芸人のなんか、多分テレビもそうだけど絶対マッチはしてるよね。
だって面白いんだもん。
確かに。面白すぎる。
そういうコロナ禍からの流れとか、いろんな分析を車がしてるんだけど、
その中でコロナ3年目ってなった時に、
with コロナと呼ばれ、ほっぺたとマスクがなじんできた頃、
世間に受けるお笑いは閉塞感からの逃避ではなく、新たな現実での幸福論、
つまり爽快感はそのままに、よりアクティブなものが求められ、
主人公的な笑いの探求
バラエティーでも有吉の壁やラビットなど主人公的な笑いが対等っていう風につながっていくんだけど、
このwith コロナの時に確かに閉塞感があって、私みたいに現実から逃避して、
お笑いに没入するっていうのはすごいわかる。
で、そこからもうコロナが過ぎて、それが普通になった時に、
新たな幸福論ってなっていったって車が書いてて、
そのよりアクティブなものが求められて、主人公的な笑いが対等って書いてあって、
この主人公的な笑いがちょっと難しかったんだけど、私。
で、ウエストランドが優勝した時の、まずこの本を出す前に連載でウエストランドのことを書いてたんだね。
そのウエストランドが優勝した理由みたいな分析の中で、
他の人たちのことも分析してて、
サヤカはわかりやすく主人公だったとか、ヨネダ2000は天真爛漫な子供の主人公とか、
で、ロングコート、ダティとダンセブランコは文化系の主人公とか書いてるんだけど、
なんかわかるよ。わかる気もするんだけど、なんかわかんない。
その中で主人公、主人公、主人公みたいなのがつんづいた中で、
ウエストランドがヒールじゃないけど、いきなりめっちゃ真っ当な悪口とか言い出して、
それが一歩引い出たじゃないけど、で優勝したみたいな感じで書いてあったような、車の分析では。
そのさ、ネタの世界観にお客さんを引き込むやり方と、現実に乗り出して笑わせに来るやり方。
ネタの世界観にお客さんを引き込むやり方に対して、現実に乗り出して笑わせに来るやり方を主人公って言って、
その、現実に乗り出して笑わせに来るやり方がウエストランドだったってこと?
あー、あ、なるほど。
え、でもさ、有吉の壁やラビットが主人公的な笑い?
うん。
なんか、ウエストランドは主人公に思える?に思えない?
うん、確かに。主人公にも思える。
M1の優勝っていう、そのM1の中では、キャラクター的に主人公になれた。
自分だけが違うキャラクターだったような感じだったから。
けど、そのコロナとかで、みんなが求めてるお笑いの主人公にウエストランドが入るか、なんかあんまわかんないかも。
なんか爽快で、なんかみたいな感じ?
と、ちょっとなんか、どうなんだろう。
なんか、この、すごいいろんな分析がされてて、ほんと面白くて。
それがゆえにたまに私も、
あー、わかる。
あの、
だってうちらは、そんなに詳しくもないし、芸人でもないから、
なんか、クラワーが言いたいことがわかりそうでわからないみたいな。
そういう時もあったなっていうのが、この主人公ってやつが気になって。
多分ほんとに直接話を聞いてみたい。
確かに。
地域性と漫才の違い
なんかでも、なんだろうね、主人公的な笑い。
なんか、それに通ずるかわからないんだけど、
なんか、あの、
芸人に必要な要素みたいなのをさ、
寝振りのさ、字面詞のシェリフでなんか言ってたやつが。
シェリフ?
あ、そうそうそうそう。
見つけた。
プリミティブでフィジカルな部分がお客さんに見下される、愛される要素だとしたら、
フェティッシュな部分は見上げられる、尊敬される要素。
これ1対1じゃダメなんだ。
フェティッシュが多すぎるんだ。
それだと突き放しすぎている。
2対1の割合で3分の1にとどまってるくらいがちょうどいいアクセントになってるんだよ。
これがその主人公感みたいのに通ずるのかわからないんだけど、愛される。
なんか、ナルトとかでもさ、なんかドジでちょっと抜けてるけどすごい努力家で、みたいな。
なんか、なんだろう。
でも強くて尊敬できる部分もあってみたいな。
なんか要素かなって思って。
なんか多分共感みたいな感じなのかなって思うんだけど、
なんかこれってお客さんに笑ってもらう要素だし、主人公に必要な要素ではあるけど、
なんか愛される個人の要素にもなんか言える気がした。
なんか日常生活とか社会において。
確かに。
なんだろう。
めっちゃなんかハイスペックで、なんか頭も良くてみたいな。
尊敬する部分みたいな。
だけだったらなんか愛せないじゃないけど。
それで言うと車自身がこれに当てはまって。
当てはめていってる感がある。
もはやここに入っちゃってると。
こんなに連覇とかもしててすごいし、分析力とかもすごくて、テレビとかも面白いのに、
なんか偉そうとかに見えなくて。
人によっては分かんないけど、私からしたら。
むしろすごい人に教えたりとかもしてたり、すごい必死なところとかもあるなって思って。
応援したくなる。
分かる。
なんかそれとかはもしかしたらこれに当てはめにいってるのかな。
でもなんかその公式を当てはめにいってるか分からないけど、なんか自弁紙の言葉で見出してたよね。
でもこれかなり生きてく上で大事じゃないけど、なんか自分も意識できるならしたいなって思った。
だね。
人に弱み見せたら相手が喋ってくれたりとかするのとかも、
なんか見下されるっていう言い方になるとちょっとマイナスかもしれないけど、
応援したいとか愛されるっていう風になる意味ではいいかもね。
でもなんか自分は尊敬できるみたいな部分があんまないから。
バランスって書いてあるから、私もそのリスペクトの方がむしろ低いな。
そうそう。
2対1の1が結構ゼロだわ。
だからなんかそういう部分も磨いていって、なんかいい大人になりたいなって思った。
そうだね。
これの話の後に東西南北で漫才を分析してて、これも面白いなって思った。
もちろんカテゴライズとかはさすがにそんなたくさん漫才師とかいる中で、
本当に4つに分けるとかは難しいのかもしれないけど、
東西南北でのお笑いの違いをその話し方、標準語と鉛があることとか、
雪が降る地域での家にいる時間の長さとか、
あと南の地域での宴会。
陽気な感じみたいな。
とかを分析してるところすごい面白いって思った。
面白かった。
それでこれからはなんか北大原井、これからっていうか今は結構北大原井が来てるみたいな感じで車言ってたよね。
そう言ってたかも。
なんでだっけ。
ちょっと南で言ったらその南がボケが主導でツッコミが客席に寄り添うだから、
ボケつつ変なこと言ってますよねこの人みたいな感じが南ってことだよね。
そう。
北は新潟は雪が降るから家でめちゃくちゃテレビ見る。
ローカル番組も関東関西どっちも映るからテレビの影響が濃いっていうのを新潟出身の先輩が言ったりしてたらしくて、
家にいる時間が長くて必然的に寒いから。
自分でインプットしたものを家で家族とか友達とシェアをするのが得意な人が芸人になって、
独創性とコミュ力が両立してるケースが多いのかなみたいな感じで。
だからボケとツッコミが向き合ってるってことか。
それで、その中でコロナ悪化になったりしたから見る人も配信コンテンツとか見たときに一緒に会話してる気分になったりするのが楽しいとかで。
なるほどね。
みたいな感じの分析をしてて。
そうすると、ラジオブームとかの中で2人の会話の盗み聞き的な意味でも、
来たお笑いのノリらしいのね。
2人の会話が2人の独特の会話だけどそれを盗み聞いてるっていうのが、
ボケとツッコミが向き合ってる来たお笑いのノリってことか。
ノリらしくて。
そういうのもなるほどって思いながら聞いてて。
国際的な漫才の可能性
私がダイヤのラジオずっと聞いてて、
同じ中学だからずっと中学の同級生の話とかをずっとこすり続けてて、
それって一見何が面白いのって感じなんだし、
初めて聞いた人は本当に何のこと話してるか分かんないっていう感じなんだけど、
ずっと聞いてる人からするとずっと笑ってられる。
何度聞いても異常に面白いってなってて、
私が今それが面白いって思ってるのは、
その来たお笑いの向き合ったお笑い。
仲良し同士の会話。
まゆりかとかも多分。
それを盗み聞いてるっていうのだから、
その閉じた空間の話を盗み聞いてるっていう感覚だと、
自分が知らない人とか話でも面白く感じられるんじゃないかって。
あーなるほどなるほど。
なんか書いてあって、
すごって思った。
確かに。
それでさ、お笑いってもううちはノリ?
この最後に世界っていう章があるんだけど、
それが面白くて、
漫才は本当に海を渡るんじゃないかって、
クルマが思った話で、
映画のゴジラの1.0を担当した野島さんっていう方が話してた話で、
日本人は外国映画を見るとき字幕か吹き替えで見るけど、
アメリカ人は吹き替えでしか見ない。
もちろん多くの国際向け映画は英語で撮られているため、
そもそも吹き替える必要がない場合も多く、
字幕など意識もされてなかった。
それがコロナでネットフリックスが爆発的に流行し、
その中で英語吹き替えのない外国の作品を英語字幕で見るっていうことを覚えた。
それによって吹き替えを用意していなかったゴジラも、
向こうの映画館で字幕がちゃんとヒットしたっていう話を聞いて、
日本語をそのまま漫才でやって、
日本吹き替え版にされて配信されるんだったら、
そんなに言語の壁とかなくなるし、
漫才の国際的可能性
漫才自体が本当に世界に行くんじゃないかって思ったっていう話をしてて、
お笑いって、世界のお笑いと日本のお笑いって、
ブラックジョークとか漫才とか全然国によって面白いって思われてるものが違うのかなって思って、
そしたらこの日本のお笑い文化みたいなノリを世界に届けるのって
かなり難しそうなのかなって思ってたけど、
もし字幕、字幕じゃなくて吹き替えとかで面白さがわかって伝わっていくんだったら、
なんか本当にありえない話じゃないのかもって思ったら、
なんか本当にお笑いが世界で一つのちょっと共通、言語みたいになって、
で共通のノリみたいなのが生まれるんだったら、
なんか言語とか越えて平和になったりするのかとか思ったりして、
確かに。
どうなっていくんだろうって思った。
将来の漫才の方向性
だってさ、めっちゃ平和だから発展する文化でもあるっちゃあるよね。
確かに。
だからくだらないしさ。
なんかこれでめっちゃさ、いろいろ戦争とかさ、
ご飯とかも、明日のご飯とかも食べれなかったりしてたらさ、
そんなこと言ってる場合じゃないってなるっちゃなるよね。
なんかスタンドアップコメディとかもお笑いみたいな感じなのかな。
アメリカとかだと。
ユリアンとかがスタンドアップコメディやってるイメージがある。
ね。
なんかそれはそれでめっちゃなんかいいなって思うのは、
なんかその政治的なこととかを結構ジョークにしたりとかなんだろう。
うん。
なんかそれは面白いなって。
それはそれでめっちゃ面白いなって思う。
確かに。
そっちのスタイルに適応できる人とか、
それがその日本でやってたお笑いとかをちょっとスタイル合わせて面白いって思われる人もいるだろうし、
逆にそのまま吹き替えになっただけで面白いってなる場合も、
どっちもあったら面白いね。
確かに。
そうだね。
なんか、でもさ、日本でのさ、あるあるみたいのはさ、結構さ、日本のお笑いってネタにしてる、出してるじゃん。
なんか食パン食わえて走ってとか、日本の少女漫画とかだったりする。
なんかそれが、なんかわかんないけど、なんかディズニー作品のあるあるとかに置き換えられたりしたら、
世界に通ずるようななんかものになったりするのかな。
そうだね、確かに。
なんか、もうM-1とかみたいな大会が、そしたら賞金1億円とかになるんだよ。
それがもはや日本人だけかはわからないみたいな。
そうそうそうそう。
そんなことなったらすごいね。
すごいね。でも本当にM-12回優勝したって本当にすごいことだと思う。
ね、なんか2回目は本当に満足、納得して楽しかったみたいでよかったね。
ね。
なんか最後、蘇那との対談があって、そこで今後、自分たちは人を出した漫才に向かおうとしてるって話してて、
それがすごい楽しみ。
うんうんうん、確かに。
今までも。
デュエル系が。
ごめん。
ごめん。いいよ。
今までも面白い漫才とかいっぱいずっと考えて作ってきたって思うけど、
でも、もう競技じゃなくなるってことはさ、ある意味本当に何でも表現できるってことでもあるから。
うんうんうん。
加藤とかじゃなくて、だからどういう風になっていくのか、より楽しみだなって思った。
確かに。なんか芸歴が若いっていうのもあって、
人って多分積み上げって形にしていくものとかだと思うと、そうだね確かに。
なんか人が、そこが自分のコンプレックスでもあるって書いてあって、
その人がないって自分で言ってて。
でも多分、ないって思ってるけど、こうやって振り返ってこういう風に出してる本とか、
面白いなって思うし、他人から見た。
うんうん。あるよ。
あると思う。
なんか、令和ロマンっぽいネタって多分あるしね、なんか。
この素志奈との対談に書いてあったっけ、あれ?対談って書いてあったのか他ので、
なんか喋ってたのかわかんないけど、その2回目のデュマン決勝のその2本目のネタとかが戦国時代みたいな。
結構その令和ロマンっぽいになっていくのかなみたいな感じで話してて。
確かに。
なんか、その年のABCの決勝でやった猫の島みたいなネタとかもあるんだけど、
それもちょっと似てるネタで、すごい面白いんだけど。
なんか、自分ではその倫がないって言ってるかもしれないけど、全然すごいあるな。
あるんじゃないかな。
あるよね。話とかも面白いしさ。
感想が、本当になんか1素人が言ったみたいな感じだけど、面白い本だった。
そしたら、今回はこの辺ですごい喋った。
すごい時間経ってる。
いや、意外といろいろあった。
そしたら、ではでは。
ありがとうございました。
ありがとうございました。